内田先生の「日本辺境論」を読んで、おおいに啓発された大使であるが・・・
日本人はこれまで、常に師となる先進国を目標にしてキャッチアップに努めてきたが、功成ったあと目標が無くなれば、とたんに迷走を始めるようです。
このデフレスパイラルのなかで生き残りをはかるには、どうすればいいのだろう?
もっと卑近な問題として、退職後に年金だけでは暮らせなく恐れがあるけど、どうすればいいのだろう?
このような問題を内田先生に投げかけても、まず「そんなことを訊かれても・・・」と断りがあり、以下のような厳しい回答がありました。
内田先生は辺境として生きていこうと開き直っているが、具体的な生き残り策については歯切れが良くありません。それだけ現実が厳しいのだが・・・
仙人のように霞を吸って生きていくわけにもいかず、困ったものです。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">1/8<a href="http://blog.tatsuru.com/2010/01/08_1532.php">そんなことを訊かれても</a>より
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
</TD></TR></TABLE>
こうなったら、新政権のやや心もとない羅針盤をたよりに漂流するしかないのかもしれないが・・・・
空元気でも出して新政権をフォローあるいは突き上げるしかないのかも?
その新政権であるが、<a href="http://twitter.com/hatoyamayukio">hatoyamayukioはTwitterをつかっています!</a>そうだが、為政者がそんな能天気でいいのだろうかと、心配になるのです。
ところで、内田先生の説く「共産主義」の解釈が斬新で秀逸である?が・・・・
資本論が霞むほどの現状においても、マルクスの洞察は正しかったのではないでしょうか。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
マルクスの説いた「共産主義」とは「コミューン主義」communismeということである。
コミューンを基礎単位として社会は構築されるべきだという論である。
別に経済活動を国家統制しろとか、一党独裁にしろとか、そういうけちくさい話ではない。
コミューンとは人間と人間のあいだの距離が「わりと近い」共同体なので、「論の政治的正しさ」や整合性ではなく、「ガキのころから知っとるけど、あれはなかなか肚のすわったやっちゃ」とか「あれは口だけのヘタレや」という判断が合意形成に際して優先的に配慮される場所というふうに私は理解している。
そういう集団を社会活動の基本単位とすべきだと提唱していたというふうに私はマルクスを理解している(日本のマルクス主義者のほとんどは私と意見を異にされるであろうが)。
そんなマルクス主義の最期の「彗星の尻尾」も1970年代の初めに宇宙の彼方に消え去り、それ以後覇権を握った資本主義は共同体の解体と消費主体の「孤立」を国策的に推進してきた。
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