そんなことを訊かれても・・・

2010/01/10 14:32

 

内田先生の「日本辺境論」を読んで、おおいに啓発された大使であるが・・・
日本人はこれまで、常に師となる先進国を目標にしてキャッチアップに努めてきたが、功成ったあと目標が無くなれば、とたんに迷走を始めるようです。

 

このデフレスパイラルのなかで生き残りをはかるには、どうすればいいのだろう?
もっと卑近な問題として、退職後に年金だけでは暮らせなく恐れがあるけど、どうすればいいのだろう?

 

このような問題を内田先生に投げかけても、まず「そんなことを訊かれても・・・」と断りがあり、以下のような厳しい回答がありました。
内田先生は辺境として生きていこうと開き直っているが、具体的な生き残り策については歯切れが良くありません。それだけ現実が厳しいのだが・・・
仙人のように霞を吸って生きていくわけにもいかず、困ったものです。

</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">1/8<a href="http://blog.tatsuru.com/2010/01/08_1532.php">そんなことを訊かれても</a>より
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
</TD></TR></TABLE>

 

こうなったら、新政権のやや心もとない羅針盤をたよりに漂流するしかないのかもしれないが・・・・
空元気でも出して新政権をフォローあるいは突き上げるしかないのかも?

 

その新政権であるが、<a href="http://twitter.com/hatoyamayukio">hatoyamayukioはTwitterをつかっています!</a>そうだが、為政者がそんな能天気でいいのだろうかと、心配になるのです。

 

 

ところで、内田先生の説く「共産主義」の解釈が斬新で秀逸である?が・・・・
資本論が霞むほどの現状においても、マルクスの洞察は正しかったのではないでしょうか。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
マルクスの説いた「共産主義」とは「コミューン主義」communismeということである。
コミューンを基礎単位として社会は構築されるべきだという論である。
別に経済活動を国家統制しろとか、一党独裁にしろとか、そういうけちくさい話ではない。
コミューンとは人間と人間のあいだの距離が「わりと近い」共同体なので、「論の政治的正しさ」や整合性ではなく、「ガキのころから知っとるけど、あれはなかなか肚のすわったやっちゃ」とか「あれは口だけのヘタレや」という判断が合意形成に際して優先的に配慮される場所というふうに私は理解している。
そういう集団を社会活動の基本単位とすべきだと提唱していたというふうに私はマルクスを理解している(日本のマルクス主義者のほとんどは私と意見を異にされるであろうが)。
そんなマルクス主義の最期の「彗星の尻尾」も1970年代の初めに宇宙の彼方に消え去り、それ以後覇権を握った資本主義は共同体の解体と消費主体の「孤立」を国策的に推進してきた。
</TD></TR></TABLE>

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プロパガンダ映画にはまった

2010/01/09 16:23

 

・佐久間ダム
・千里馬
・栄光への脱出

 

これらの共通点は何か?・・・ハイ、そこのあなた!
これらの共通点は、ジャンルはドキュメンタリー、商業映画とさまざまですが、私がはまったプロパガンダ映画なんですね(さよか)

とにかく、映像の威力はすさまじいもので、年端もいかない大使などコロリとはまってしまったわけです。

 

その1
子供の頃に「佐久間ダム」というドキュメンタリー映画を見て、土木技師を夢見たこともある大使であるが・・・・
お役人も土建会社も、世のために働いた幸せな時期が確かにあったが、今となっては状況変化に対応できないその硬直性(石頭)に感慨深いものがあります。
お役人とは、自省の予算が減ることを、会社倒産のように恐れるが(それはわかる)・・・
ならば、ダム撤去予算をつけて、せめて世のために働いてほしいものである。
同じ税金を投入するなら、せめて国民の為に使ってほしいものだが・・・継続性、整合性とかなんか?で、にっちもさっちもいかないのだろうな~?

 

その2
子供の頃に「千里馬」というドキュメンタリー映画を見て、北朝鮮に民族の希望を見たこともある大使であるが・・・・
当事者でもある在日の民でさえ、騙されたくらいだから、イデオロギーで凝り固まった土居委員長でも道を間違ったのもわかるような気がします。
この映画を作った監督は、当時の日本人よりは北朝鮮の実情に詳しかったはずであるが、夢を紡いだ裏に、負の側面に目をつむった(見抜けなかった?)としたら犯罪的でさえあったと、今頃気づいた大使である。

 

その3
ものごころついた頃に「栄光への脱出」という映画を見て、ユダヤ人の帰国運動に虐げられた民族の希望を見たこともある大使であるが・・・・
いま、パレスティナのガザ地区で砲撃を加える軍事大国ともいえるイスラエルには、映画で見たような虐げられた面影は見られません。
それにしても、この映画に出演したポール・ニューマン、そしてスクリーンミュージックには惹かれたものです。

 

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/10/0000179310/51/imge746ced6zik4zj.jpeg" width="289" height="400" alt="栄光への脱出">栄光への脱出

 

かように、プロパガンダ映画に惹かれた(だまされた)大使も、騙されながらも馬齢を加えたせいか・・・・
プロパガンダ臭には「ちょっと おかしいんじゃないの?」と眉に唾することもおぼえたのです。

 

プロパガンダ映画といえばマイケル・ムーアの最新作『キャピタリズム』はドキュメンタリーというより、プロパガンダ映画なんだろうが・・・
こういうふうに立ち位置を旗幟鮮明にした映画を、見たいとも思うのです。


ということで・・・
関さんの<a href="http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/93f5e5ac3b3d2aebdbc33c97a79c54e8">プロパガンダ報道は民意をゆがめるか?</a>などのタイトルに目が行くのです。

 

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生活保護申請者不当逮捕

2010/01/09 11:05

 

活保護申請が頻発している昨今ですが、生活保護の受理、受給は地方自治体に任されているので、順法の優しい自治体が出現すると困窮者が集中する恐れがあるそうですね。

補足率16%という実態がある一方、生存権との狭間で各地方自治体の受付窓口が疲れきっているのも、今のシステムなら当然の帰結なのかも知れません。

不況下のいま生存権を保証するには、生活保護を地方に任せず国として対応する新しい制度が望まれているが、制度変更が大きいので国としても立ちすくんでいるような有様です。

 

生活保護申請者不当逮捕というニュースが気になっていたけど、JANJANによれば<a href="http://www.news.janjan.jp/living/0912/0912244747/1.php">「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ!?」抗議集会開かれる</a>そうですね。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
■行政行為の不透明化招くカメラへの弾圧
 さらに、フリーター全般労組・ムービーユニオンの根来祐さん、Media Champonの山川宗則さんからは「カメラと公共性」ということで問題提起がありました。
 根来さんは、フリーター全般労組が主催するデモなどでカメラを担当しておられます。「(公安刑事など)公務員の違法行為を抑止する機能をビデオ撮影は持っている」。「生活保護でも、水際作戦により死を選ぶしかない状況の予防につながる。カメラがあることで、心の持ちようも違ってくる」と指摘しました。
 そして、「一人の偉大なジャーナリストより、100人の市民がカメラを回して表現することが大事ではないか」と提起しました。
 山川さんも、「今回の事件で、行政行為が不透明化」しかねない、と懸念しました。
</TD></TR></TABLE>

 

お役所が下々に水際作戦という嫌がらせをしても無視するが、下々がお役所で職員に嫌がらせを行うことは認めないという警察の習い性が見えるのです。

やくざな不正受給に対して睨みをきかすのが警察のしごとでなかったのか?
福祉事務所が生活保護の受給を認めたのに、恐喝罪を理由に警察が受給を認めさせないというのは、やり過ぎというほかはないのだが・・・・・

法的には水際作戦の違法は明らかであるのに警察は、その違法性には関係なくお上の行いにはむかう者には容赦しないようです。
つまり、一揆の前兆のような振る舞いが見られるなら、警察や司法は違法な処分を厭わないということです。

 

JANJANのニュースをさかのぼって見てみます。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">JANJAN12/16<a href="http://www.news.janjan.jp/living/0911/0911283759/1.php">水際作戦の福祉事務所「逆切れ」、生活保護申請者不当逮捕</a>より
Aさんの保護申請も御多分に漏れずというべきなのか、当初の保護申請は却下されてしまいました。困ったAさんは再度申請を行おうとしましたが、福祉事務所は素直に取り合ってはくれません。やむにやまれず自分の部屋からビデオカメラを持ってきて、福祉事務所の職員に訴えました。「生活保護の申請をさせて下さい!」
 2ヵ月半後、この時の行為が職務強要罪の容疑にあたるとされ、Aさんは逮捕されました。逮捕の2日後、ユニオンぼちぼちの大阪事務所が家宅捜索されました。
 しかし組合員が一緒に福祉事務所に話に行くと保護が支給されることが決まり、逮捕までの2ヵ月半の間Aさんは無事に保護生活を送っていました。現在も保護は廃止(取り消し)ではなく、逮捕・勾留による停止という状態になっています。受給はあくまで合法と認めているのです。
 ですから、Aさんは生活保護を受給する資格がないのに恐喝して違法に受給をしたという容疑ではありません。あくまで、職員の冷酷な対応を受け、やむにやまれずカメラを回しながら訴えたことが容疑とされているのです。しかも、その映像が公開されたことはありません。
</TD></TR></TABLE>

 

生活保護を地方に任せず国として対応する新しい制度が難しいのなら、せめて・・・・
財源を目処を立て、地方に配分したうえで、補足率100%で順法のセーフティネットを張ってくれ!

 

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「日本辺境論」を読んだところですが

2010/01/06 21:08

 

「日本辺境論」を読んだところですが、日本という国名からして、自ら辺境と宣言しているんだそうです。
つまり、日の本(日のいずる方角の国)とは、中華から見て東の方角の東夷(東の蛮国)であると言っているようなものと、内田先生が述べています。

また、日頃から、「韓国人の感性はまだ日本人とそんなに違わないが、中国人は別だなあ」と感じることがあるが・・・・
内田先生は、「この違いは思考方法や言語のなかに華夷秩序(中央と辺境の秩序)があることによる」と述べてます。
なるほど、中国人には中華が、韓国人や日本人には辺境としての振る舞いが歴史的に染み付いていて、行動の端々に現れるからなんでしょうね。

この本には日本語の特質について、目からウロコが落ちるような個所が多々あるので、ここに書き写します。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
よく知られているように、philosophyに「哲学」という訳語を当てたのは西周です。西はそのほかに主観、客観、概念、観念、命題、肯定、否定、理性、悟性、現象、芸術、技術などの訳語を作り出しました。そして、その訳語が中国でも用いられた。
 中江兆民の「民約論」はルソーの「社会契約論」をフランス語から直接漢訳したものです。(それが辛亥革命の理論的基礎を築いたと言われています)
 なぜ中国の人たちは日本人の作った漢訳を読み、自身で訳さなかったのか。
 日本人にとって、欧米語の翻訳とは要するに語の意味を汲んでそれを二字の漢字に置き換えることだったのです。西周の例を見てわかるように、彼がしたのも実は日本語訳ではなく漢訳なのです。外国語を外国語に置き換えただけです。ベースになるスポンジケーキは同じものの使い回しで、トッピングだけ変えたのです。日本語が二重構造を持っているから、これが可能だった。
 でも、清末の中国人にはそれと同じことができなかった。これまで中国語になかった概念や術語を新たに語彙に加えるということは、自分たちの手持ちの言語では記述できない意味がこの世界に存在するということを認めることだからです。自分たちの「種族の思想」の不完全性とローカリティを認めることだからです。ですから、中国人たちは外来語の多くをしばしば音訳しました。外来語を音訳を与えるということは母語にフルメンバーとして加えない、それが母語の意味体系に変更を加えることを認めないということです。
</TD></TR></TABLE>

</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
私たちの言語を厚みのある、肌理の細かいものに仕上げてゆくことにはどなたも異論がないと思います。でも、そのためにには、「真名」と「仮名」が絡み合い、渾然一体となったハイブリッド言語という、もうそこを歩むのは日本語しかいない「進化の袋小路」をこのまま歩み続けるしかない。孤独な営為ではありますけど、それが「余人を以っては代え難い」仕事であるなら日本人はそれをおのれの召命として粛然と引き受けるべきではないかと私は思います。
</TD></TR></TABLE>

内田先生は、こうなったらとことん辺境でいこうではないかと、次にように開き直っています。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="600" height="50">
なにしろ、こんな国は歴史上、他に類例を見ないのです。それが歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の召命があると考えることは可能です。日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間しかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私だって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。
</TD></TR></TABLE>

 

<a href="http://www.radiodays.jp/blog/hirakawa/?p=588">『日本辺境論』(内田樹)について </a>


 

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ヘッジファンド、金融工学の間違いが歴然としたいま

2010/01/03 16:46

 

NHKの<a href="http://www.nhk.or.jp/special/onair/091220.html">ウォール街の“モンスター”バブルは再び起きるのか</a>で、リーマンブラザーズの元社長が野次馬のおばちゃんにこづかれている映像が流れていて、やや鬱憤が晴れる思いがしていたが・・・・
ヘッジファンド、金融工学の間違いが歴然としたいま、ここにきてウォール街の復活が見られるとのことです。

 

米金融界の当事者が言うには・・・・
モンスターと呼ばれる金余りマネーを規制したいのは山々であるが、規制して金融の中心がウォール街から上海などに移ることはアメリカの国益に反するので規制できない(しない)んだそうです。
つまり、国益を守るためには世界中が困っても、アメリカの貧民が困っても我慢しなさいと言っているようなもので・・・
アメリカ人にとって、アメリカの国益って何?という疑問が沸くのです。

 

日本の物造りの儲けなど、多分、モンスターのくしゃみで吹っ飛ぶほどの規模かもしれないので・・・・
額に汗して働く行為は、ウォール街からすれば「せいぜい投資対象となるよう頑張ってね」と映るんでしょう。

モンスターやウォール街を野放しにすることは、我々がいくら努力しても、シジフォスの石運びのような労働に甘んじることである。
そして、日本の優良大企業も儲けを海外のオフショアに溜め込んで、税金を日本に払っていないとも聞き及びます。

 

日本やアメリカの国民が国益にこだわるのは、若しかして愚かなことかも知れません。
敵は多国籍企業とかモンスターであり、物造り日本の労働者は、アメリカの貧民と手を結んでオバマ政権を突き上げるのが採るべき道なのかも知れないが・・・
経済メディアを見渡しても、(寡聞にして)こんな論調は見当たりません。

 

 ************************************************************************************
4日の朝日新聞で浜矩子さんがこう述べています。
「そして20世紀の最後の10年で国民国家を基礎単位とした世界が、グローバル資本主義によって壊れた。次はグローバル市民主義の時代です。
グローバル市民主義への道筋をどう具体化するのか。次の10年に我々が問われているテーマです。

99円のセーターまで登場して、何かがおかしいと、消費者が気づき始めている。自分で自分の首を絞める恐れがある。
10年続くデフレも、人間らしい活動を取り戻せるか、見えざる神が我々に下した鉄槌なのかも知れません。カギとなるのは“一寸の虫にも五分の魂”の思想でしょう」
 

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韓国の弥勒さん

2010/01/03 11:00

 

3日のNHK番組「海峡を越える国宝の美」で日韓の国宝が紹介されていて、ふたつの民族の繋がりや、よく似た価値観などについて興味深く拝見しました。
年末にたまたまソウルの国立中央博物館を訪れた大使にとっても、番組で韓国の弥勒さんを改めて見たが・・・・

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/10/0000179310/43/img9bc7d432zik3zj.jpeg" width="300" height="400" alt="3">国立中央博物館の弥勒菩薩


面食いの大使は、やはり、弥勒さんは中宮寺だな~と思ったりする。
そしてもっと美形のものは高句麗の弥勒さんである。
(だんだんと、NHKの趣旨からずれて行く大使である)

国立中央博物館訪問の機会を得たことは、奇しくもNHK番組を見る前の予行演習となり・・・これも縁というものでしょう。

お互いに学びあい、刺激しあい、より良い高みを目指すのが、良い意味のライバルであるが・・・
先日の日記に書いたように、つい勝った負けたと現在の結果に目がいってしまう大使である。(反省)

<a href="http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/1396072/">韓国の貿易黒字、初めて日本上回る</a>にあるように・・・・
すでに貿易黒字では韓国に遅れをとっており、過去の繁栄の記憶から覚めやらぬ日本は、かなり勘違いしているのではないかと思ったりもする。

ともあれ、3夜連続の<a href="http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_091227_3.html">「日本と朝鮮半島2000年」</a>のように正月の特別番組として隣国を紹介することは、意義深いことであると思うのです。


そういちさんのエントリー<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/mukoujima/diary/201001030000/">姫観音と在日悲話</a>のように、現実を認識しておくことも大事なことなんでしょう。
 

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職業科で稲作

2010/01/02 10:34

 

四国のかた田舎(ど田舎というべきか)の中学では、50年ほど前には職業科で半年かけて稲作を行ったが、中学校の学習の思い出として強く残っているのです。


ヒルがいそうなぬかるんだ田んぼで、手で草取りをするのは辛かったが、秋の稲刈りでは、心地良い労働を味わったような記憶が残っています。

私の体験から言えることなんですが「稲作の体験が大事なんでは?」という感覚は14歳にでもなれば、おぼろげに有るんですね♪

 

今でなら、稲作体験の効用を後付けでいくらでも論じることができるのですが・・・
・労働の実態を体験させる。
・エコロジーの体験学習
・季節感の体験
・食料を作ることの体験

 

50年経って知りたいのは、まわりくどいような稲作体験を職業科のなかに組み込んだ、教育方針はどこから出たのだろうと言うことです。
当時の文部省や教育委員会には、なんとも悠長な稲作体験を許す度量の大きさが有ったのか?、それともゲリラ的に稲作体験を採用した教師がいたのか?

 

当時の職業科の教師にその実態を聴くという手立ては、もう取れないかもしれないが・・・
「先人の思いは伝わっていますよ♪」と不特定多数の教師に対して感謝の意を表明したいと思うのです。

 

新自由主義が吹き荒れる中で地球の農業はいかにあるべきか?というような気宇壮大な設問を立てる場合・・・
たとえばモンサント社というアメリカの強欲な企業から本来の農業を取り戻すためには何が肝要か?と思索する場合のベースとして稲作の体験がいくらかでも役立つのではないかと・・・・
若しかして情操教育としてしか役立たなかったかも知れないが、斯様に思うわけです。

もうひとつ言えることは、モンサント社の強欲さ、悪意を敏感に嗅ぎ分ける感覚はなんとなく付いたのではないかと、先人の意に対してあらためて賛意を表する次第です。

 

 

とまあ・・・
お正月の効用は、このように来し方について、先人について思い巡らせるいい時間だと思うわけです(暇なこっちゃ)

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今年も志摩ロードパーティにエントリーするぞ!

2010/01/01 12:01

 

今年も志摩ロードパーティにエントリーするぞ!

・・・・と元旦に宣言しておこう。

 

この志摩ロードパーティはハーフの山岳コースで結構きついので、まずエントリーしておいて、練習しないと励みにならないのです。

 

ということで4月18日開催の<a href="http://shima.roadparty.jp/entry/">志摩ロードパーティ2010</a>に申し込む予定です。
 

ちなみに、去年の結果は以下のとおりです。

*******************************************************

6時半からの朝食にそなえて、朝5時ころから起きだした大使です。
朝食のバイキングではご飯お代わりで腹いっぱいにしたが、決戦にそなえる武士のたしなみといえるでしょう(腹痛になっても知らないよ)

ということで、このあと汗と涙のレポートを追記します。

 

 

記録は2時間11分という平凡な結果でした。
自慢できることと言えば・・・・
このコースで、この歳で、この気温で2時間強という予想はバッチリで、大使の自己認識の鋭いことが実証されました。

へんなところで自慢しているが、普通ハーフで2時間をオーバーすることは市民ランナーとしては恥ずかしい記録であるが・・・・
このコースの過酷さが表れていると言えないこともないな~(と自分を慰めております)

このコースは前半の10Kは坂道が繰り返す山岳コースで、後半はほぼ平坦なコースとなっていますが、15K以降のきつい時期は海岸べりを走る設定となっていて、暑さと疲労でヘロヘロ状態でも、爽やかな潮風を受けて、なんとか頑張るという・・・・
なかなか、泣かせる設定になっていました♪

この日の気温はかなり高くて、給水所ではコップに入った氷水の残りを頭にかけて、朦朧とした意識に活を入れるというような、汗と涙の志摩路でありました。

 

セニョリータの件ですが・・・・
フラメンコのセニョリータには開演時間の関係で会えなかったけど、それより、このダルちゃんのほうが愛嬌があっていいかも♪
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/10/0000179310/21/img192a9f29zik6zj.jpeg" width="300" height="400" alt="ダル">

パルケエスパーニャの入園料2800円を知ってびっくりしたが、この大会の2日間無料特典は特筆に価するな~(何につけタダに弱い大使である)

 

(ラップタイム)
2K 10’13   5’06
3K 16’21   6’08
4K 21’50   5’29
6K 29’23    7’33 (長い上り坂)
8K 43’55   7’16 (長い上り坂)
9K 49’25    5’30
11K  66’29    5’47
12K  72’41    6’12
15K  88’20    5’13
16K  94’39    6’19
17K 102’55    8’16(トイレ)
18K 109’38    6’43(爽やかな海岸べりコース)
20K 124’56    7’39(上り坂を歩く)
21K 131’21   6’25
ゴール131’40

 

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